『トーキョー裁判』『天皇と接吻』をめぐる
演出家と美術家のストレートでフレキシブルな〈関係〉Part.4
演出家 坂手洋二
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美術家 加藤ちか
聞き手 土屋茂昭 記録 武井三保  梅ヶ丘カフェ・パスピエにて
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土屋 読売演劇大賞最優秀演出賞と最優秀スタッフ賞を受賞されましたが、ある意味小劇場の公演でこういう賞を取るのって画期的な事じゃないかなあと思うし、手作りであるとか空間的にもかなり狭い所であるとか、そんな中で表現してなおかつこういう賞を貰うということに対して、お二人に自分なりの評価を伺いたいのですが。
坂手 演出家と言われても作家と演出家の区別がよく分からなくて、なんか「そうなのか」って思ったことはありますね。ただやっぱり「スタッフ賞」を頂けたのがトータルの作品の成果というか実現したものに対しての賞だから、台本に対しての賞より、そこが僕は非常に嬉しいですね。
加藤 「スタッフ賞」というのは、むしろ私にとっては「作品賞」と解釈してもいいかなとも思うんです。というのは私は、ディテールにこだわるタイプの美術家では無いから。作品全体がよくないと、美術も評価されない。これが美術家賞では無いところが、逆に仕事頑張りましたという感じがする。
土屋 美術家賞というのは無いんですよね。
加藤 そうなんです。新聞社の方も言ってましたけど本当は美術家・照明家・音響家が一緒に並べられてること自体申し訳ないとか言って頂けましたけど。逆に作品というか全ての総合評価としての「作品賞」が取れなかったのは残念だけど、その代わりに「スタッフ賞」が頂けたのは嬉しいですね。でも、言っていたんですよ、2500人の動員(天皇と接吻)と30000人の動員(パンドラの鐘)で、それを投票してくださって、作品賞の対抗馬になった事自体「頑張ったねえ」って。
土屋 それはそうだと思うなあ・・・先程からお二人が話しているのを聞いているとやっぱりチームワークというか、そういう部分が一番なんでしょうね。
加藤 予算のほうも私と坂手さんの中では「いつもと同じ」「いつもの倍」とか(笑)いつもが幾らなのかは坂手さんの中だけなんですけど、私達の打ち合わせの中では「今回はどれ位ですか?」「いつもと同じ」「いつもより押さえめ」「いやいや、今回はいつもの倍」
坂手 いや「いつも」もね、上限と下限があって。
加藤 そう、だからね、都合よくトラム(ト−キョ−裁判)の時はいつもの倍あって、私は「上限のいつも」の倍を想像してて、でも舞台監督には具体的な数字が行ってて「いったい幾ら予算があると思ってンだ」と言われ「いや、いつもの倍」ってファジーな会話が(笑)
坂手 これはね小劇場の常なんですけど、「少しでも安く上げましょう」なんですよね。予算通りでやるっていうことをプロフェッショナルな事と思ってる人も大勢いると思いますが、なるべく安くしましょう安くできるでしょうという貧乏性な部分がかなりありますね。もう一つは『ト−キョ−〜』でいうと船のセットを作りましょうと、材木がこれ位の額かかるよと、それは予算的にね「う〜ん」なんだけれども、そこはファジーだから「えーいやっちゃえ」になるんですよ。制作的に他の所でなんとかしようという事であえて予算を決めないことをよしとしている。僕が説得されて負けちゃったら「じゃあ買っちゃえ」になるわけです。だからモノによるんですよね。『能舞台シリーズ』で言うと、いつもと同じ能舞台なんだけど、真中に井戸があってあっちこっちにテーブルがあってとか、「それだけなの私他に仕事ないの?」と加藤さんに言われて頷いたら「私なんか違う事したい」って言われて、それはなんなんだよ〜なんて言いながら、飾りを吊ればいいんじゃないかという話になった。じゃあ何を吊ろうかって、で、アルミパイプを発見したんだよね。でもいつもと同じって言われるのがやだなとか、美術家が作品をどう作るかということとは別の次元で、トータルにプロデュース的な部分の感覚が絶対あると思うんです。
加藤 やっぱりシリーズものって恐いんですよ、同じ一つの基盤の中ではあっても、作品としては自分でもなにか一つ手を加えて新しさを出してお客さんに見てもらいたいというのがある。でもやっぱりタイトな現実もあったり、それから壊したく無い世界もあったりするんですけど・・・やっぱりそんなバトルは定番物の方が多いかもしれない。
坂手 そう、だから「いつも」というのがファジーなのは当然なんですよね。
加藤 はい(苦笑)でも面白いでしょう、ファジーすぎるでしょう?
土屋 いやいや
加藤 だからね、長い付き合いの中で彼の持つファジーさの勉強じゃ無いですが、最終的には道具帳引いたりする段階で、収める為の努力はする。でも、最初の発想とかイメージ画とかの段階には、やっぱり大きく膨らましてあげるという事をそういうファジーな段階のなかでやらないと。それはあまりにも虚構ではいけないけれども。でも小さくなって行くという事ではなくて、その大きく膨らました時のいいものをちゃんと残していければいいと思うんです。そういう打ち合わせの仕方というのはこういう(坂手さんの様な)難しい本をこなしている内にちょっとづつ身に付いたっていうか(笑)