1946年(昭和21)戦後一年目に、旧帝劇で「白鳥の湖」全幕が初演され、日本のグランドバレエの歴史が始まった。敗戦の焦土の中から爆発的にバレエブームが起こったものの、バレエ界は、まだまだ見よう見まねの手探り状態だった。5年後の49年に結成された谷桃子バレエ団は、当時、指折り数えるほどしかなかった日本のバレエ団の中でも、新しく、若々しいグループだった。その「谷桃子バレエ団」が、50年に上演した「パガニーニの幻想」は、舞台美術・伊藤継郎、「白鳥の湖 第2幕」は小磯良平である。51年「トォネラのスワン」衣裳デザイン・猪熊弦一郎。「火の鳥・日本初演」舞台美術・小磯良平。53年に「コッペリア」衣裳デザイン・鈴木信太郎。「白鳥の湖・第2幕」脇田 和「レ・シルフィード」田村孝之助。後に「火の鳥・第2幕」を三井永一が描く。当時の日本洋画壇の人気画家が、競ってバレエの舞台美術に参加したことは驚きである。
 こうしたことが実現したのも、このバレエ団の舞台制作に深く係わった緑野 卓(もと上海交響楽団代表 上海バレエ・リュツスオペラプロデューサー 上海ライシューム劇場経営者)や、ヴァイオリニスト巖本真理、谷桃子の良き後援者だった実業家河村幸次郎の功績が大きい。
 この時代、バレエ、オペラを手がける舞台美術家は三林亮太郎が主だった。他には河野鷹思河野国夫の名前がある。
 1955年 谷桃子バレエ団が、小牧、貝谷バレエ団に続いて「白鳥の湖」全幕上演初演。この時から私が舞台美術を受け持つことになった。
しかし、こうした画家の活躍は、すでに伝説になっていた。背景が描かれていたドロップは、新しい背景を描くために、男性団員たちが多摩川に運び、洗い落とされて、別の背景画が描かれていた。デザイン画は失われ、よすがを知るにも「トォネラのスワン」のスワンに扮した谷桃子のスチール数枚だけであった。
 長い間、存在が知られなかった原画が、竹下夢二の作品などの、膨大な河村コレクションの中から見つかった。これらの原画は、今年1月河村コレクションで公開された。
 この時代、バレエは新しいジャンルとして魅力ある存在だった。51年、後楽園のスケートリングで行われた谷桃子バレエ団「白鳥の湖・第2幕」は河野国夫。51年ピカソ祭東京展記念・実験工房作品「生きる悦び」谷桃子バレエ団、舞台美術は、前衛絵画造形の気鋭 山口勝弘、北代省三、福島秀子。また、抽象画家の川口軌外が服部・島田バレエ団の舞台美術を描いている。この他、作家、詩人、建築家、ファッションデザイナーの多くが舞台美術に参加する意欲を持っていた時代であった。(河村コレクションのご協力により掲載)